一般部門大賞は東京都在住の会社員、劉磊さん
学生部門大賞は名古屋大学医学部の田中健一さんに決定!
「世界一の医療先進国へ~震災が教えてくれた日本の医療の将来像」に115編の応募
劉さんは賞金半額を特定非営利活動法人AMDAに、田中さんはPCATに寄付
GEヘルスケアグループ(以下「GEヘルスケア」)の世界中核拠点の1つであるGEヘルスケア・ジャパン株式会社(本社:東京都日野市、代表取締役社長:川上潤)が主催する「第24回GEヘルシーマジネーション大賞」の一般部門大賞に東京都日野市在住の会社員、劉磊(りゅう らい)さん(30歳)の作品、「医民官、三位一体のMade in Japan」が、学生部門大賞に名古屋大学医学部医学科1年の田中健一(たなか けんいち)さん(34歳)の作品、「私の理想が日本医療の理想と出会ったとき」が選出されました。
GEヘルシーマジネーション大賞は24回目を迎える今年、「世界一の医療先進国へ ~ 震災が教えてくれた日本の医療の将来像」をテーマに、東日本大震災に見舞われた日本が、その経験を生かして世界一の医療先進国になるために何をすべきかの提言を募りました。
一般部門大賞を受賞した劉さんは、災害現場で本当に必要とされた医療の多くは、慢性疾患や介護と向き合い、日常生活を長期にわたって支える医療であったと今回の災害から学び、今後必要とされるのは「医民官三位一体の『総力戦』である」と説きます。そして「日本で構築した『成功した高齢者医療社会』は、今後高齢化を控える多くの国に対して輸出可能な誇り高い 『Made in Japan 製品』 」になると、世界に先駆けて高齢化が進む日本の優位性について力強いメッセージを発信しています。
学生部門大賞を受賞した田中さんは、31歳にして「根源的に人に役に立つ仕事をしたい」と一念発起し、医学部に入学した経歴を持ちます。あるセミナーで耳にした「被災地で最も必要とされるのは生活の質を守る医師、つまり家庭医だ」との言葉に、「日本の医療の将来像が見えたと同時に、今後の生涯をかけて歩むべき道が見えた」と実感した田中さんが、今後の包括的、継続的医療の必要性を被災地での実例を引きながら示すと同時に、自らも人間を診る家庭医になる決意を語った、医療の原点ともいえる作品です(選考結果の詳細は3~5ページをご参照ください)。
審査員を務めた岩手医科大学の小川彰 学長は、「昨年の3.11大災害を受けての『重い』テーマとなったが、極めて重く、難しい対象にもかかわらず様々な観点から多くの力作が寄せられた事に、このテーマの重要性が反映されていると思う」と総括しました。同じく審査を担当した財団法人消費者教育支援センターの有馬真喜子 顧問は、「震災は大きな災害でしたが、一方で、それを乗り越えて、新しい出発をし、新しいものの見方を導入する機会とも考えられる。応募作品の多くに、そうした思いがあふれていた」と振り返っています。
また本大賞では大賞受賞者が、賞金の半額(10万円)を本人が選択した被災地復興に取り組む施設・団体・機関に寄付するというプログラムを設けています。このプログラムに則り、一般部門大賞受賞の劉さんは特定非営利活動法人アムダ(本部:岡山県岡山市)に、学生部門大賞受賞の田中さんは日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)(仙台本部:宮城県仙台市)にそれぞれ10万円を寄付しました。
特定非営利活動法人アムダ(AMDA)は、1984年の設立以来、世界30ヵ国にある支部のネットワークを活かして多国籍医師団を結成し、相互扶助の精神の基づき、災害や紛争発生時、医療・保健衛生分野を中心に緊急人道支援活動を展開しています。AMDAはThe Association of Medical Doctors of Asiaの略。本部は岡山市にあり、1995年に国連経済社会理事会(UNECOSOC)より「特殊協議資格」、2006年には「総合協議資格」を取得しています。
日本プライマリ・ケア連合学会 東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)は「災害急性期を基本とした短期の医療支援だけではなく、亜急性期から慢性期にかけての長期の医療・保健支援を行う」日本プライマリ・ケア連合学会内のプロジェクト。PCATは"Primary Care for All" Teamの略。プライマリ・ケア(家庭医療・総合診療)の能力を最大限に発揮し、地域の保健・医療・介護職の皆さまが元通りの力を取り戻されるまで、被災者の避難生活を医療の面から包括的に支援する活動を続けています。
今回の寄付について、受賞者、ならびに寄付金贈呈先のアムダとPCATの代表はそれぞれ、以下のコメントを寄せています。
(第24回GEヘルシーマジネーション大賞 一般部門大賞受賞 劉磊さん)
アムダ(AMDA)には岡山の高校生時代に、当時のAMDA高校生部にボランティアとして活動に参加いたしました。ネパールに学校を建築するための街頭募金など、学生生活だけではできない貴重な体験を、活動を通して得ることができました。大学で岡山を離れた後はインターネット等を通じて活動を見守るだけでしたが、昨年の東日本大震災をはじめ、国内外の災害現場に一番最初に赴く活動姿勢にはいつも尊敬の念を持っておりました。AMDAの活動に何か力添えをしたいという思いから、この度の寄付先として指定させていただきました。
(特定非営利法人アムダ ボランティアセンター長 小池彰和さん)
1995年阪神淡路大震災の年が日本のボランティア元年と言われています。それまでの限定的だったボランティア活動が、この年に100万人もの一般市民ボランティアが自発的に活動したことで、その意義が広く世間に認知された結果といえます。
2000年に岡山県立岡山操山高校を卒業された劉磊さんは、かかる時期にAMDAの高校生会にあって多感な人格形成期を過ごされた由。その時の熱い思いが今回の受賞につながり、ひいてはAMDAが寄付先として選ばれるという恩恵に浴し得たわけで、誠に嬉しく、ありがたく、心からの感謝をもってお受けいたします。
AMDAは「困ったときはお互いさま」を合言葉に過去28年間54ヵ国で災害や紛争発生時に、緊急医療援助を展開してきた国際医療ボランティア団体です。国連経済社会理事会から総合協議資格を認定されてもいます。これからも続けます。ありがとうございました。
(第24回GEヘルシーマジネーション大賞 学生部門大賞受賞 田中健一さん)
医療費の増大、医師不足、病院での長い待ち時間などの医療問題は日本人に広く知られていますが、それら全ての対処法として家庭医の普及があることはあまり知られていないようです。こちらの団体は被災地で家庭医の需要が高かったことを告げて、日本の医療問題の解決法を示し、さらには私の人生の指針を与えてくれました。これからも被災地での活動を通じて、日本全体を治療してくれると考え、選ばせていただきました。
(PCAT担当理事 大橋博樹さん)
日本プライマリ・ケア連合学会は地域の第一線で働く家庭医や地域を支える歯科医師・薬剤師・看護師など幅広い職種で構成された団体です。東日本大震災ではDMATを始め、急性期には様々な団体が有機的に活動し成果を上げました。しかし、経験のない広範囲かつ甚大な被害のために、いまだ復興の足音は緩やかです。また、元々医療過疎が問題であった東北地方では、追い打ちをかけるような医療システムの崩壊が起こっています。そして、その影響を一番受けているのは社会的弱者である、高齢者や子供達です。なんとか命が助かっても、その後に十分な医療や介護、福祉サービスが受けられず、身体面・精神面で問題を抱えている方は増えています。私達はPCAT(Primary Care for All Team)プロジェクトを立ち上げ、現在も仮設住宅の方々の健康相談や市立病院の再開支援、妊産婦・子育て支援など、多職種で活動しております。今回、私達の活動がこのような形で評価を頂きましたことは大変光栄であり、今後の大きな励みとなります。感謝を申し上げるとともに、今後ともご支援・ご協力を賜れば幸いに存じます。
第24回GEヘルシーマジネーション大賞 選考結果
≪一般部門 大賞≫
劉磊(りゅう らい)
会社員・30歳
「医民官、三位一体のMade in Japan」
3月11日の大震災直後、濁流に飲み込まれる街の姿と一緒にテレビニュース画面に映し出されたのは、予想される震災による急性期医療需要に対して『臨戦態勢』で臨む被災地病院のスタッフの姿だった。しかし蓋を開けてみると被災地の医療現場を中長期にわたって疲弊させたのは急性期医療ニーズではなく、慢性疾患患者への医療活動であった。
被災地の沿岸地区は高齢化率が30%に迫る(現在全国平均22.7%)。被災地の病院では震災直後は入院患者の域外搬送対応、常用薬不足に追われた。中長期的には、避難所の栄養環境、衛生環境などによる慢性疾患患者や要介護の高齢者ADL(日常生活動作)低下に顕著に悩まされた。震災によって浮き彫りとなった『高齢者医療』への対応不足。そして2023年、日本の全国平均高齢化率は30%の大台に到達する[1]。
この数字が私たちに求めることは文字通り、医民官三位一体の『総力戦』である。
医の観点からは、参考文献[1]でも指摘があった通りの医療スタイル変革が求められる。現在の外来・入院を主体とした医療体系の在宅医療へのシフト。病院施設も訪問診療や訪問介護などの機能をはじめとする『小回りの効く』小規模、多機能スタイルへのシフトが要求されるだろう。
医療機器メーカーをはじめとする民も同様に高齢者医療への対応が急がれる。日本では単身で暮らす高齢者は年々増加しており、慢性疾患をもつ高齢者も多い。このような高齢者の自宅に対応した『見守りシステム(転倒した場合に自動的に家族に通報するなどの機能を持つ)』機器類の開発・普及が最初の挑戦として考えられる。これに対しては各大手のメーカーがすでに製品化しているものもあり、その実力が期待されるところである。一方で、スタンドアローンに近いシステムではなく、高齢者の自宅+システム管理会社+高齢者の家族+かかりつけ医+地元自治体担当部署をそれぞれのNeedsに合わせたクラウドコンピューティングでネットワーク化することが今後の対応策として考えられる。これには従来の医療機器メーカーが主導し、通信、セキュリティ、公共福祉など各分野でノウハウを持つ企業やNPO、地方自治体でアライアンスを組み、システム開発、産業の育成を果たすべきである。
官が果たす役割は医と民の活動の積極的バックアップに他ならない。高齢者医療に焦点を当てた研究開発の支援や投資を早急かつ集中的に進めるべきである。2023年は思ったよりも近い。
最後に、日本で構築した『成功した高齢者医療社会』は、今後高齢化を控える多くの国に対して輸出可能な誇り高い『Made in Japan製品』であることもお忘れなく。Made in Japan. Made for the world.
参考文献[1] 日経メディカル Summer 2011
受賞コメント:
この度は歴史と名誉のある第24回GEヘルシーマジネーション大賞を頂き、誠にありがとうございました。超高齢者社会医療はすぐそこまで迫っている日本医療のチャレンジであり、これに対して応募作品の内容は私なりの提案であり、imaginationです。作品の内容を実現させ、価値あるsolutionとして日本、世界に提案できることが私の願いであり、今後挑んでいく職務でもあると感じでいます。
審査員講評:
災害現場で本当に必要とされた医療の多くは、慢性疾患や介護と向き合い、日常生活を長期にわたって支える医療で、それを実現するには家族や医療従事者らによる見守りに加え、医療機器やコンピュータによるネットワーク化が必要と説く。IT技術活用による医療体制について述べた作品は他にもいくつかあったが、この作品は担い手のイメージが明確であること、そしてそうしたシステムを「MADE IN JAPAN」として世界の人々の役に立てようという志の高さが秀逸であった。
≪学生部門 大賞≫
田中健一(たなか けんいち)
名古屋大学医学部医学科1年・34歳
「私の理想が日本医療の理想と出会ったとき」
「被災地で最も必要とされるのは生活の質を守る医師、つまり家庭医だ」
家庭医療学夏期セミナーの最終講演で、ある医師はそう熱く語っていた。
「震災後の数日後は確かに命を救う医師が求められていた。しかし、それ以降に被災地の方が求めている医療は包括的、継続的なケアだった。それは私たち家庭医が担うべき仕事である」
全くその通りだと、私は力強く頷きながら聞いていた。
震災後には、避難所で暮らさなくても、生活習慣の変更を余儀なくされた方は少なくない。当然、栄養の偏り、睡眠時間の減少、精神的ストレスの増大は発生しうる。それらの要因は多くの病気、特に慢性疾患につながりやすい。
医師不足が生じた今回の震災では、ある診療科の疾患だけでなく、複数の診療科の疾患を診られる医師が要求された。 生活習慣に根差した病気が主なので、異なる医師が巡回診療をするよりも、常に一人の医師が対応することが理想的だった。さらには、環境衛生に配慮し、予防治療を施し、在宅ケアを手助けする医療が望まれた。これらは全て、家庭医の得意分野だ。
だが、現在の日本を考えてみれば、こういった医療の需要増加は震災にあった地域に限った話ではない。超高齢社会となり、医療の人手と資金不足が深刻化している日本なら、どこでも必要とされている医療である。その必要性は今後日本中で増す一方であろう。今回の震災後の医療事情は、未来の日本医療のあるべき姿を考えるいい見本になっていた。被災地で家庭医の役割が重要だったことは、将来、家庭医が果たすべき役割が大きいことを端的に示している。
私にとって、それは日本の医療の将来像が見えたと同時に、今後の生涯をかけて歩むべき道が見えた瞬間だった。
私は31歳にして「根源的に人に役に立つ仕事をしたい」と一念発起し、毎晩遅くまで2年間受験勉強をして、今年医学部に入学した。入学後も私の信念を実現できる医療とはなにかを常に考えながら勉学に励んでいて、偶然か必然か家庭医療学夏期セミナーの存在を知った。200名近い意識の高い医学生と、ほぼ同数の家庭医が集まる大規模な合宿である。そこでの家庭医は医学生の隣に座り、夜を徹して語ってくれた。
「一つの臓器に注目するだけでなく、常に人全体を診るべきである」
「一人の人間とだけ捉えるのではなく、社会の中の人間として考えるべきである」
「既になった病気だけに注目するのではなく、これからなる病気に気を配るべきである」
「体だけでなく、心も治せる医師になるべきである」
「病院ではなく、家庭で療養すること、看取ることを目指すべきである 」
これらの言葉はあまりに新鮮だった。
セミナーの最後に、上の被災地での家庭医の役割についての講演を聞いた。全ての点が線でつながった気がした。私は、人生で最もすがすがしい気持ちであった。実現できる医療の理想像を得られたと確信したからである。
受賞コメント:
この受賞は、私の理想の実現に向けての励みになりました。論文では触れていませんが、これまでの私の人生は困難の連続でした。挫けそうになったとき、自分の理念に対する自信に寄り掛かることで、努力を重ねてきました。今回の受賞は、今後も安易な道に流れないで理想への道を突き進むように、私に勇気を与えてくれたと考えています。
審査員講評:
被災地に学び、包括的、継続的医療の必要性が述べられた作品。31歳で医学部を目指した初心を忘れず、人間を診る家庭医になる決意が将来に希望を与える。医療の原点について述べた作品といえる。
≪優秀賞3名≫
氏名 | 職業 | 作品タイトル |
竹田 陽介 | 医師 | 命をつなぐ家族の絆 |
小谷 瑛菜 | 学生 | 決意 |
佐藤 藍子 | 会社員 | 「ドラえもん」の生きる未来 |
*佐藤藍子さんは同大賞専用ホームページにて実施した一般投票での選出
第24回GEヘルシーマジネーション大賞・概要 | |
・主催: | GEヘルスケア・ジャパン株式会社 |
・特別協賛: | 財団法人消費者教育支援センター |
・後援: | 岩手県・宮城県 |
・協力: | 日本GE株式会社 |
・募集テーマ: | 「世界一の医療先進国へ ~ 震災が教えてくれた日本の医療の将来像」 |
・募集期間: | 2011年7月27日~2011年10月31日 |
・審査員: | 小川彰 岩手医科大学 学長 有馬真喜子 財団法人消費者教育支援センター 顧問 川上潤 GEヘルスケア・ジャパン株式会社 代表取締役社長兼CEO |
・賞・賞金: | ◆ 大賞(一般・学生各部門から1名)賞金10万円 + 寄付金10万円 (受賞者指定の被災地復興に取り組む施設・団体・機関に寄付) ◆ 優秀賞(3名)賞金5万円 |
・応募総数: | 115編 |
・ホームページ: | www.gehealthcare.co.jp/company/hmaward/ |
GEヘルシーマジネーション大賞は、GEヘルスケア・ジャパン株式会社(当時社名:横河メディカルシステム株式会社、略称YMS)の創立5周年を記念した「第1回YMS学生論文大賞」として1987年に開始されて以来、過去23年間にわたって毎年開催しているCSR活動です。潜在・顕在化している医療問題への提言を募り、社会に還元することで、医療・健康・福祉・社会・人生などの問題に対する関心を広く喚起することを目的にしています。
一昨年度まで「GEヘルスケア・エッセイ大賞」の名で広く一般から3,000字以内のエッセイを募集してきましたが、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が2009年に導入した医療に関する世界戦略にあわせて、昨年度から名称を「GEヘルシーマジネーション大賞」に変更。幅広い世代が手軽に応募できる医療に関するアイデアコンテストへと装いを新たにし、本年で24回目を迎えました。時代にあわせて企画内容を柔軟に変更してきた本GEヘルシーマジネーション大賞は、過去最高で703編もの貴重な提言をいただくなど、全国でも伝統ある医療コンテストとして高い評価を受けています。
「第24回GEヘルシーマジネーション大賞 表彰式・寄付金贈呈式」
下段左から:
・ 優秀賞受賞 竹田 陽介さん
・ 学生部門 大賞受賞 田中 健一さん
・ 一般部門 大賞受賞 劉 磊さん
・ 優秀賞受賞 小谷 瑛菜さん
上段左から:
・ 寄付金贈呈先:日本プライマリ・ケア連合学会
東日本大震災支援プロジェクト 事務局担当理事 矢澤 一博氏
・ 審査員:岩手医科大学 学長 小川 彰氏
・ 審査員:財団法人消費者教育支援センター 顧問 有馬 真喜子氏
・ 審査員:GEヘルスケア・ジャパン(株)
代表取締役社長 兼 CEO 川上 潤
・ 寄付金贈呈先:特定非営利活動法人アムダ
ボランティアセンター長 小池 彰和氏
GEヘルスケア・ジャパン株式会社 広報 松井亜起