1925 - 1934

新たな方向性 - 市場の拡大

1925年、オーストラリア・ゼネラル・エレクトリック(A.G.E.)はニューサウスウェールズ(NSW)州オーバーンに、トースターから鉄道用エンジンまで、さまざまな電機製品を製造する工場を開設しました。A.G.E.はその後、オーストラリア有数の電機メーカー2社と合併し、市場で電機製品の主要サプライヤーの地位を確立しました。GEはまた、大恐慌に対応するためGEコンシューマー・ファイナンスを活用。これにより、新たに家電を購入するお客さまの支払い期間を延長したり、不況時でも質の高いマイホームを購入したいと考えるお客さまの要望にもお応えできるようになりました。さらにこの間、新型家電に加え新素材の開発にも取り組み、1932年、界面化学の研究でGEの産業科学者がノーベル賞を受賞しました。

1930
General Electric

1925

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1 of 8: インディアナポリス500での勝利 (1925)

1925年

1925年に開かれたインディアナポリス500マイルレースで、ピーター・デパオロ選手がGE製スーパーチャージャーを搭載したデューセンバーグ・スペシャルで優勝を果たしました。

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2 of 8: テレビ時代の幕開け (1927)

1927年

GEは家庭に「テレビ」というものを届けました。1927年に行われた最初の家庭用テレビ受信実験は、GEのラジオ局WGYからの放送をニューヨーク州スケネクタディの住宅で受信する、というものでした。翌1928年、WGYは週2回のテレビ放送を開始します。テレビが現代の生活と文化に与えた影響は計り知れません。

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3 of 8: シカゴ・シビックオペラハウス (1929)

1929年

1929年、シカゴ・シビックオペラハウスの無段階照明制御装置に、最初の大規模な電子制御装置が使われました。

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4 of 8: 電気洗濯機を発売 (1930)

1930年

人々の家事をもっとラクにするために、1930年、GEの最初の家庭用電気洗濯機が発売されました。人々の生活の質を向上させることを目指したGEの数多くの発明品のひとつです。こうしたツールが、女性の社会進出を後押ししました。

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5 of 8: エンパイア・ステート・ビル (1930)

1930年

高層ビルのにもGEの専門技術が使われています。セーフティ・スイッチ、パネルボード、安全盤、などなど・・・エンパイア・ステート・ビルは、GEが誇る技術の結晶です。

General Electric

6 of 8: 新素材・プラスチック (1930)

1930年

GEは大量生産向けの新しい建築ブロックとして、熱形成可能なプラスチックを開発しました。自社製品に必要な絶縁体の他にもさまざまなプラスチック製品を次々に生み出しました。いまや、毎日の生活のそこかしこにプラスチック製品を目にすることになっています。

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7 of 8: GEクレジット・コーポレーション (1932)

1932年

大恐慌下の経済状態に応じるために、1932年、GEの製品を購入するお客さまを経済的に支援するGEクレジット・コーポレーションを設立しました。さらに、GEコントラクツ・コーポレーションによる融資によって、将来的に新しい電気製品を買おうと考えるお客さまの要望にもお応えできるようになりました。

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8 of 8: 初のノーベル賞受賞者 (1932)

1932年

1932年、界面化学の分野での先駆的な業績に対して、GEの研究員アーヴィング・ラングミュアが、産業科学者としてアメリカで初めてノーベル化学賞を受賞しました。