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エジソンに続く物語:GEのエンジニア、ニック・ホロニアックのLED発明から50年

この記事は、GEの米国本社(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)が2012年8月15日に公開したGE Reportsの全訳です。
※原文はこちら: "Standing On Edison’s Shoulders: Fifty Years Ago, GE Engineer Nick Holonyak Turned On The World’s First Practical LED"

 

アメリカ科学著述者協会のハーランド・マンチェスター元会長が『リーダーズダイジェスト』誌でレーザー技術の数々の用途について考察した1963年2月当時、レーザーはまだ生まれたばかりの技術でした。マンチェスター元会長は、こう述べています。「ゼネラル・エレクトリックが開発した画期的な新技術は将来、電気照明にとって代わるかもしれない。この計画が成功すれば、将来の照明は鉛筆の先ほどの小さい金属になるだろう。実質的に壊れることも、燃え尽きることもない上、今日の電球の少なくとも10倍の電流を光に変換することができるようになる」

マンチェスター元会長がいう「将来の照明」とは、言うまでもなく、今日のLED(発光ダイオード)です。元会長がこのように将来を予言できたのは、今秋からちょうど50年前の1962年に世界初のLEDを開発したGEの技術者ニック・ホロニアックにインタビューしたからです。ホロニアックのLEDは赤色の発光のみでしたが、研究開発の熱に火をつけ、その結果生まれた色とりどりのLEDが今日、一般家庭や街中、新型iPadの「Retina(レティナ)」ディスプレイ、薄型テレビを彩っています。83歳になったホロニアックは、こう語っています。「まったくもって、あの当時は黄金期でした。私が参加したときには、どんなことになるのか、全部わかっているわけではありませんでした。私が知る限り、現在のLEDの原点はGEにあります」
世界初の実用的LEDが発する赤い光
世界初の実用的LEDが発する赤い光
世界初のLED(発光ダイオード)を開発したニック・ホロニアック
世界初のLED(発光ダイオード)を開発したニック・ホロニアック。ホロニアックの開発した技術がなければ、iPadの「Retina(レティナ)」ディスプレイもなかったかもしれません
ニック・ホロニアックとGE技術サポートチーム(1962年撮影)
ニック・ホロニアックとGE技術サポートチーム(1962年撮影)。写真後方:B・ヘス(技術者)、S・ベバックア(研究室技術者)、F・キャランティ(技術者)、C・ビーラン(理学士、化学者)、S・ルバウスキ(電子技術者)
ノーベル賞受賞者ジョン・バーディーンと談笑するニック・ホロニアック(左)
ノーベル賞受賞者ジョン・バーディーンと談笑するニック・ホロニアック(左)
現在のウクライナ西部から移民した両親のもとに生まれたホロニアックはイリノイ大学の電気工学科に入学。ジョン・バーディーンに原子物理学を学び、1951年に新設された半導体研究所にてバーディーンが受け持つ初めての博士課程の学生となりました。ホロニアックは当時を振り返って、「すべては、ここから動き始めました」と語っています。

半導体は言うまでもなく、現代の電子技術の基盤です。おもちゃから火星探査機まで、あらゆるものの動力源になっています。1956年、ホロニアックが博士課程に進んだわずか5年後、バーディーンは半導体トランジスタの発明によりウィリアム・ショックレーウォルター・ブラッテンとともにノーベル物理学賞を受賞しました。バーディーンは1972年にもノーベル賞を受賞しています。)

1954年に博士号を取得したホロニアックは、ベル研究所での1年間の勤務と陸軍での2年間の従軍を経て、1957年にニューヨーク州シラキュースにあるGEの研究所に入ります。GEは当時すでに半導体用途について研究を進めており、サイリスタや整流器と呼ばれていた現代のLEDの先駆け的な技術を開発していました。ニューヨーク州スケネクタディにあるGEの研究所では、技術者ロバート・ホールが世界初のダイオードレーザーの開発を進めていました。ホールやホロニアックは、電気を通すと半導体が可視光などの放射線を照射することに気づき、半導体の「スイッチを入れ」チャンネルを合わせて光を強めようとしました。

最初に成功したホールが、世界初の半導体レーザーを構築しました。これがなければ今日、CDもDVDプレーヤーも生まれていなかったでしょう。「半導体をレーザーに変換する方法はまだ誰も知りませんでした。私たちは誰よりも早くその方法を発見しました」と、ホロニアックは語っています。

しかし、ホールのレーザーは目で見えない赤外線しか発光しませんでした。一方、ホロニアックは長時間を研究室で過ごし、手製の半導体合金のテストや切削、研磨を続けました。そして1962年の秋に、初の発光に成功します。ホロニアックは、こう述懐します。「当時、半導体合金は粗くて膨張し、不均一だと考えられていました。しかし私たちは何が起こるか十分把握していたし、電流を光に直接変換する非常に強力な方法を見出したのだという確信がありました。私たちは究極の照明を発明したのです」

ホロニアックは1963年にGEを離れ、母校イリノイ大学で教鞭をとり始めました。今はジョン・バーディーン記念講座の電子工学、コンピューター工学、物理学の教授であり、アメリカ国家技術賞レメルソンMIT賞国立著名発明家会館で「殿堂入り」を果たすなど、数々の名誉ある賞を受賞しています。

ホロニアックは、赤いLEDが「始まりにすぎなかった」と語ります。「私は、これが強力極まりないものであり、こうした素材が白色光の光源になることがわかっていました。実現までには10年を要すると思っていましたが、私の予想をはるかに超える時間が必要になるとは夢にも思いませんでした」